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エッセー&小論

戦後教育の改革と図書室の思い出

東京大学名誉教授
堀尾 輝久
(2007年4月発行 会報第111号より)

 1945年敗戦の夏、私は北九州小倉の中学1年生であった。8月9日の長崎原爆は、最初の目標が小倉であったことはあとで知った。戦後の混乱と改革への動きのなかに、私たちの青春があった。

 新学制の発足とともに、私の中学は新制高校併設中学となり、そのまま高校に接続する6年間の教育を受けた。中高一貫とはいえ、軍国主義教育から民主教育への大転換を経験した世代である。高校も共学となり1年下の学年から女子生徒も入ってきた。〈六三制 野球ばかりが強くなり〉といわれた世代でもあるが、とりわけわが母校は2年連続甲子園優勝校となった時代で、全校あげて応援に熱中した。

 しかし生徒会も活発であった。私は文化部を担当し、レコードコンサートなどを催したりもした。できたばかりの図書部にも入った。同窓会館の2階が図書室として改造され、図書の選定や読書指導を担当するため、新しく司書の先生が着任した。高校カリキュラムに選択制がとり入れられ、あき時間を図書室で過ごす生徒も増え、さらに、授業の方法も変り、生徒が調べて発表する機会が増えた。(例えば歴史、地理、生物、地学など)そのためには参考図書の利用が不可欠であった。新刊書が増えるなかで、分類をどうするか。新しい整理方法が導入され、それにともなってカードの整理、ラベルの貼りかえが必要だった。それが図書部員の仕事で、私も高3の時はその責任者として、放課後、随分そのために働いた。しかし、部員の特権として自由に本が読めるのが楽しみであった。出たばかりの世界文学全集を片端しから読んだ記憶がある。卒業の時に図書室の充実に貢献したという賞を頂いたことも、懐かしく思い出される。
 後年、教育研究者の道を選び、戦後教育改革の研究にも取りくむのだが、教育改革の中に公立および学校図書館の充実があり、大学でも図書館学という新しい学問領域が開かれていくことを知った。私たちが新制高校発足直後に経験した母校の図書室の充実も、この戦後改革の大きな流れのなかにあったことがわかる。司書の先生が配置されたのは恐らく全国的にも早い時期ではなかったかと思う。

 教科書中心の授業では、図書館(室)の利用は半減しよう。生徒が参加する授業づくりのためには、図書の充実が不可欠なのである。

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東京大学名誉教授    堀尾 輝久

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