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エッセー&小論

本と箱と棚と

作家・書誌学者
林 望
(2007年4月発行 会報第111号より)

 本というものは、文字や絵図で表された「内容」と、それを「本」たらしめている「装訂」とから成る。

 ところが、図書館、とくに学校図書館では、昔から本というものは「内容」だけだと割り切って「装訂」を等閑視してきたのはいかにも遺憾なことであった。

 そもそも日本の古書(つまり和綴じの本)は原則として平積みの形で保存されてきた。

 これに対して西欧の書物は古今とも堅い表紙をつけて棚に立てて並べるのを原則としている。

 このことは実はなかなか重要な問題を含んでいる。面白いことに、横書き文化の西欧では縦に立てて本を置き、縦書き文化の東洋では横に本を寝かせて置く。そうして、西洋式の書棚は日本の古書を平積みにするようには出来ていない。あれはあくまでも立てて横に並べる設備なのだ。しこうして日本では、本は棚ではなくて箱に入れるのを原則とし、その箱を本箱といった。

 図版1は私の自宅書庫の写真であるが、この奥右手のほうに縦長の四角い箱がいくつか見えている。これらが和書の本箱である。この箱のなかに、日本の古書はみな手前の棚の本のように平積みになって収まっている。元来東洋の書物は、楮・竹・綿などを材料とする柔らかな紙で作り、表紙も西洋のそれのようには堅くなかったし、しっかりした背表紙もなかった。だからぐにゃっとなってしまって立たないのである。しかし、こうして平積みにしておけば、和書は壊れる心配なく、安全に保管できるのである。

 一方、洋式の製本はかならず堅い表紙をつけて立つように作られている(図版2)。しかしそれにも弱点があって、本と本の間をおかずにきちんと立てておかないと、本が斜めに傾いで次第に悪いクセが着いたり壊れたりする。その欠点を補うために、昔は、本は多くボール紙の箱に収められていた。そうしておけば、洋装本は崩れず埃にも焼けず、安全に保管し得る。

 ところが、図書館では、たいていこの和本の木箱も洋装本のボール箱も捨ててしまう。捨てて本を裸にして保管するということに疑いを抱かない。
 いや、たしかに保管スペースのことを考慮すると外箱などを廃棄するのは止むを得ないのかもしれない。しかし、本は装訂も含めての全体として「本」なのだと考えると、その外箱も捨て、装訂カバーも捨て、ただもう丸裸の中身だけにして置いておくなどということは、本来書物に対する冒涜だといってもよい。美しくデザインされた外箱やカバーもまた、時代の風や、デザイナーの美意識を表現する1つの文化なのである。それを捨ててしまって果たして十全に書物文化を保存管理しているといえるのだろうか。私はそこに疑いを抱いている。

 ところで、和本は平積みにするのが原則だと書いたが、そうすると1つ困った問題が出来する。平積みにすると、下の方の本には上に積まれた本の重みがかかり、いきおい風通しが悪くなるので、カビや虫食いが発生しやすい。高温多湿な日本では、そこが大問題である。

 けれどもこれには1つの妙法がある。

 そもそも湿気と虫を防ぐ最も良い方法は、本を開いて風を入れ、乾燥させることである。だから、そのためには、1年に2、3度くらいはゼロックスコピーを(もちろん司書が丁寧に取り扱いながら)するととてもよい虫干しになるのである。和書はただ積んで死蔵しておくのがもっともよくないのだ。だから、寧ろ和本については一定の条件を課した上で、原則コピー可とし、洋装本は開いてコピーするとかならず綴じが痛むからコピー不可とするのが学問的には正しいのである。このことを図書館人たちは意外に知らないで、闇雲に和書をコピー不可などとしているのは実は正しいやりかたではないのである。

 洋装本の歴史はたかだか150年だが、和装本の歴史は1200年にもなる。私達の国の本の美しい装訂の歴史もよく知ってみれば、本の箱やらカバーを無条件に捨てるなんてことが、非常に残念な行いであることが、きっと分かるはずだと思うのである。美しい本は美しい装訂のままに保管せよ。それが私から図書館人へのメッセージである。

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作家・書誌学者    林 望

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