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私には敬愛する物書きの中に荒俣宏さんがいる。荒俣さんはご存知のように博物学の権威者で、幅広い知識を持っている。 敬愛するもうひとつの理由として高校の1年先輩であることも挙げられる。我が高校は荒俣さんのような人間は少ない。いや少ないどころか、荒俣さんたったひとりである。 荒俣さんは変人である。今はだいぶふつうになられたが、変人の匂いがぷんぷんする。私はふつう(おまえも変人だと言われる)の人間なので、荒俣さんには憧れる。 荒俣さんにはホントかウソかわからないエピソードがいっぱいある。 たとえば、1、1日に羊羹を2本食べるから、いつも鞄の中には羊羹が入っている。2、食事はほとんど大福。3、約束の時間にきた試しはない。4、シンポジウムで約束の時間に40分遅れてきて、1人で喋りまくってさっさと帰ってしまう。5、欲しいと思えば、1冊1000万円する本を買ってしまう。6、平林たい子がグッピーを飼っていて、その動物を荒俣少年は見たくて、平林家を訪ねた。7、お父さんがパチンコ好きで、パチンコが勝って、どんどん玉が入っている間に古本屋にいって、好きな本を読み続けていた。まだまだエピソードはこれで終らない。 私が荒俣さんに驚くのは本に対する執着である。私は商店街でざわざわした環境の中で育ったせいか、自分の世界に閉じこもるということはなかった。自分の部屋もなかったし、父親には書斎はあったにしても、本がたくさんあったわけではなかった。 敬愛する荒俣さんであるが、お目にかかるチャンスがない。いや、何度も声をかけるチャンスはあったが、こちらから声をかけるタイミングを逸してしまった。あの背の高さと太り具合に威圧されてしまった。 しかも、荒俣さんと私が暮らしている町が同じなのに、出会ったこともない。うちの奥さんにも娘にも「荒俣さんを見かけたことはないか」としょっちゅう聞いてみるが、やはり見かけたことがない。 荒俣さんとは縁がないのかもしれない。もう、一生会えることがないと諦めかけていたときに、日本橋の老舗鰹節屋さんの取り成しで、荒俣さんにお会いできた。嬉しかった。場所は渋谷の有名な飲み屋。私は緊張していた。荒俣さんも私が高校の後輩であることはちゃんと知っていた。取り成した人が上手で、初対面の心を解きほぐしてくれて、荒俣さんも私も会話がどんどん弾んできた。 「ねじめさん、輿水こしみず校長って知ってますよね」 「もちろんですよ。我々のときの校長先生でしたよね」 「あの校長って、漢文の大家で本をたくさん読んでいて、私は毎日校長室に呼ばれて、話を聞かされていたんです。毎日呼ばれて、校長先生の話を聞くのが私の係りみたいなもんなんです。必ずそのあとにラーメンをご馳走してくれるんです。毎日違う話なんです。文学の話やら哲学の話やら、それが楽しいのです」 私はまったく輿水校長のことは知らなかったが、荒俣さんはとことんつきあっていたのだ。そして、校長先生の話が終わると、高校の図書室に寄って読書もしていたと言う。それも毎日である。図書室の先生とも相当に仲がよかったらしいのだ。私は益々荒俣さんのことが好きになったし、益々荒俣さんにはなれないと思った。なれっこないと思った。 それにしてもとりあえず荒俣さんに7つのエピソードがホントなのかウソなのか聞いてみたところ、時間は守るようになったのだが、あとはほとんどホントのことばかりであった。6の話であるが、荒俣少年が自宅にあらわれたときの平林たい子は「あら、この子って変な子供」って思ったにちがいない。 同じ町でバッタリ会って、荒俣さんも私も酒が強くないので、喫茶店で荒俣さんの薀蓄を独り占めしたい思いはまだまだ残っている。
作家 ねじめ 正一
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