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エッセー&小論

東京にもクマがいた!

動物学者
今泉 忠明
2014年12月発行 会報第14号より

 「クマですっ!!」という相棒の声に思わず振り返りました。確かに、クマでした。それも15mほどのところで、こちらを眺めていました。私はとっさにカメラを持って立ち上がり、シャッターを押します。何枚か撮った時、「こっちに来ますよ!」と相棒が小さく叫びました。「逃げるな! 来たら戦う!」と、カメラをのぞいたまま言いました。クマは足を一歩前に踏み出しましたが、こちらがひるまなかったためかクルッと向きを変えて森の中に走り去りました。
 クマが現れたのは、東京・奥多摩の山中でお昼を食べ終えたときのことです。このあたりの山にツキノワグマが棲んでいることは図鑑などにも載っていましたが、実際に遭遇すると怖くてびっくりではなく、棲んでいたという事実に驚きました。図鑑などの記述を信用していないというわけではなく、そういう事実を確認できたということが私にとっては嬉しかったのです。
 奥多摩で私は毎月、動物の自然観察を続けており、お昼は天候さえ許せば森の中で食べることにしています。もう3年以上になりますが、山をゆっくり歩いて森の空気を吸い、風や木々の音、鳥の鳴き声を聞き、落ち葉に紛れている動物たちの落とし物を探すのです。けもの道に自動撮影装置を仕掛けて、どんな動物が通るのかを知るのです。山で動物の棲息の有無や行動を確認するという楽しさは、この歳になってようやく分かってきました。子どもの頃に読んだ『シートン動物記』や『シートンの自然観察』などに書いてあったことを実践している気分なのです。
 どんな子どももそうなのでしょうが、子どもの頃は読んでいる本の主人公になり切ります。私はいつか自分も動物の跡をたどったり、ブラインド(観察用テント)に隠れて動物を観察してみたいなと思ったものです。クマやイノシシが本当に出てきたらどうしよう、などと勝手に空想したものです。
 でも実際の観察は、ひどく厳しいものでした。日本にいる動物はたいていが夜行性ですから、眠気をこらえて起きていなくてはなりません。それに加えて、夏はブラインドの中は蒸し暑くて蚊が多く、冬は寒くて指先の感覚もなくなります。失敗もいろいろあります。
 大失敗の一つは、ずいぶん前のことですが、今は絶滅したとされるニホンカワウソを観察した時です。そこは四国南西部の足摺岬から続いている海岸段丘の下の海岸です。私は渓流が海に注ぐ河口の崖下にブラインドを張りました。夕方、カメラや真っ暗闇でもあたりを見ることができるノクトビジョンをセットしました。ときどきノクトビジョンのスイッチを入れて、あたりを見回し、バッテリーを節約するためにすぐ切って、あとは耳をすまし、波の音以外にカワウソが出すであろう音を待ちます。こうして朝まで見張ったのです。
 5時を過ぎると次第に明るくなってきて、やがて太陽が水平線から顔を出します。そうなるとドッと疲れが出ます。「あ~あ、今日もカワウソは来なかったか…」とつぶやきながら、ゴソゴソと狭いブラインドを出て少し歩き回って脚を伸ばしていました。と、そのときです。浜辺をピョーン、ピョーンとネコよりはるかに大きくて、細長くて、巨大なイタチのような…そう、カワウソが走ったのです。距離はおよそ30m。しかしカメラはブラインドの中、呆然と眺めるだけだったのです。
 これが大失敗の一つですが、一般に「カワウソは夜行性」と言われていましたから、明るくなってからやってくるとは思いもしませんでした。以来、私は書物で読んだことを実際にフィールドで自分なりに確かめることが大切だと思うようになりました。動物学だけでなくどんな分野の人でも自然の中へ出て行って、そこで書物で得た知識を深く考えたり調べたりしてみること、これが肝心でしょう。人間は自然の仕組みの中で生きているからです。
 私が奥玉に出かけていくのは、本などから得た自然の情報を、森の中で考えたり体験したりするためです。そうすることでもっと広く深く自然のこと、生態系のこと、動物の保護のことなどが理解できるようになるのではないか、と思うのです。

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動物学者    今泉 忠明

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