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エッセー&小論

本好きでなくても。

コピーライター・エッセイスト
糸井 重里
(2013年4月発行 会報第9号より)
本を読むというのはたのしいことだ、と、本を好きな人は、みんな言います。ぼくも、ずっとそう思って生きてきたのですが、このごろ、そんなことでもないぞと気がつきました。
 本を読むということのなかには、実は「めんどくさい」だとか、「つまらない」というような時間や気持ちがたっぷり含まれているはずです。
 本というものも、登場人物の名前を憶えられなかったり、退屈な場面で気が散ってしまったりというようなことは、いくらでもあります。表現がむつかしくて理解が追いつかなくなるようなことも、あってあたりまえです。そして、どうしたって、その時間はちっともたのしくなんかないんですよね。
 本を読むのが習慣になっていて、大好きになってしまった人は(先生とか親とかだったりもします)、そういうたのしくない時間のことを、忘れてしまうのか、隠そうとしているのか、ほとんど語りません。だから、いつだって、これから本を読もうとする人たちは「そんなにたのしいことなのかぁ」と大きすぎる期待を抱いて本を読みはじめるのです。ところが、どうも、すぐにおもしろくもたのしくもならない。それどころか、理解できなかったり、退屈だったりする。たのしいはずのものだったのに、それがたのしく感じられないのだから、じぶんは本を読むことに向いてないんだと考えてしまいます。
 本を読みなれると、おもしろい本のおもしろくない部分も、たのしめるようになるのですが、読みなれてない人にとっては、そうはいきません。
 本を読むことが好きになったり、本を読みなれるまでの間は、「好きかどうかわからない」という時間があるのです。うまく読めないし、おもしろく感じられないのに、たのしいはずがないですからね。
 もともと、ふつうの人にとって、本を好きになることなんか、どうだっていいことなんですよね。好きなことについて知りたいとか、好きな話をもっと聞きたいと思っていたら、この本にそれが書いてあったぞ、ということでいいのではないでしょうか。
 本を読むということそのものがよいことなのではない。本のなかにある知りたいことと出合うことが素晴しいよいことなのだと、いまさら、ぼくは思うようになりました。ある人の話をもっと聞いてみたいというのと、この本を読みたいという気持ちとは、ほんとうは同じなのではないでしょうか。

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コピーライター・エッセイスト    糸井 重里

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