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エッセー&小論

蜂飼耳『孔雀の羽の目がみてる』のチリは8ミリある

装幀家
菊地 信義
(2004年11月発行 会報第104号より)

 情報としての文章は、発信する側の思わくで秩序付けられる。文章は罫で囲われ、題を約物が飾る。人は文章を読んでいるのではなく、情報の消費者として、思わくを読まされていないか。

 蜂飼耳の文章は情報ではない。事や物の感想が記されているが、主題と一見無関係に思われる、背景や細部が切り詰めた文で象嵌ぞうがんされてある。読む人の意識を、数行前の文が揺さ振り、後の行の一語が撃つ。再度、読み返すと、事や物は眼前にあって、耳もとで、さて貴方の感想は、と問う声がする。

 蜂飼耳の文は、読むという行為を密やかな事件と化すために用意されてある。単なる情報の容器ではなく、事件の現場としての本の形が問われる。

 版元の要請は、四六判の上製。本文は200頁ほどに仕立てること。通常の大きさの文字で組めば、問題のない原稿量だ。しかし、『孔雀の羽の目がみてる』の文章は、読むと同時に文を一望できる版面が必要だ。
 編まれる文章はどれも短い。1頁に600字組めば、1つが3、4頁。頁をつまみ、めくり返せば、文は一望できる。この文章へ人を誘うには、大きめの文字と、ほどよい行間が不可欠だが、判型を大きくするか、頁数を増やさぬかぎり、版面の余白が不足し、読みづらい。

 縦組の文章を読む視線は、天地に余白が足りないと、上から下へ下から上へスムースに折り返せず、本の外へ零こぼれる。左右の不足は、ノド側の行が頁の傾斜に落ち、小口の行の視線は頁から外れる。

 版元の要請と文の要諦に応え、余白をどう拵こしらえるか。思案の先へ浮かんだ像がある。書見台で本を読む人の姿。台上の和綴じ本にチリが無い。書見台の天板が深いチリに見えた。上製本の表紙は、本文より天地、小口ともに3ミリ大きい。そのはみ出した部分がチリ。本の歴史があやなした本文を保護する形だ。

 このチリ、人は本を読み始める際、版面と視線を定位(角度や距離)させる目安として無意識に使っている。チリは背後の空間や物から版面を読むという場へ結界をなす。

 読み耽っている時、チリを意識することはない。しかし、深く感応し、心動くと、文字や行から離れた視線が、何かが溢れてしまうことを畏怖するように、チリをまさぐっている、そんなことがありはしまいか。

 チリは、人を読むことへ誘い、読むことで生まれる、新たな心の秩序を縁どる、一人一人の罫なき罫ではないか。

 版面の余白の不足を、表紙のチリを深くしておぎなう。それは、読むことが1つの事件である文を、ささえてもくれるはずだ。

 製本の工程はあらかた機械化されていて、手作業を要する箇所は定価を押し上げる。流通過程の梱包で、深いチリは折れ曲がってしまわないか。様々な検討を加え、8ミリのチリが可能となった。しかし、通常の四六判より、天地で10ミリ、左右で5ミリ大きな形は、書店の平台や棚で、あつかいづらい。危惧する声があった。

 試作した深いチリの本を、どれほど手にし、眺めたか。ある時、本文の厚味がチリに切り立つ白い崖に見えた。頁をめくることで、崖は左から右へ、右から左へ移り変わる。切り立つ白は、版面の余白の切っ先でもあった。

 そんな気付きもあって、表紙は四六判のまま、本文の天と地、左右を5ミリ短くし、チリが8ミリの本が形を成した。本文紙の紙色と、表紙の色を合わせ、版面の余白とチリを加え、天に25ミリ、地へ26ミリ、小口は20ミリの余白が生まれた。ノンブルや柱は、その余白へ、文章の題ともども一切の装飾をさけてある。
(注)蜂飼耳(はちかい みみ) 詩人。詩集『いまにもうるおっていく陣地』(紫陽社1999年)で、第5回中原中也賞受賞。

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装幀家    菊地 信義

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