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エッセー&小論

考えてみる日常

写真家
大西 暢夫
(2011年4月発行 会報第3号より)
 小学校の図書館で低学年のころ、何度も借りて読み込んだ絵本『三匹のこぶた』の感想文を書き、入選した記憶がある。
 話しの内容はというと、おおざっぱな兄の豚は藁で家を造り、その弟は木で家を造り、さらに弟はレンガで家を造った。オオカミから身を守ろうとしたが、当然のことながら、藁や木で造った兄たちの弱い家は簡単に壊され、最後に残った三男のレンガで造った家だけが残り、そこに逃げ込み兄弟は助かるという話し。
 僕は、この本の感想文に、藁で家を作る兄のおおざっぱさが好きだと書いた。
 たしか、あのとき、要領のいい、三男の性格が好きではないという気持ちが強かったからだ。
 いま思えば変わった感想文だが、絵本に自分が入り込み、主人公と友達になれるか、なれないか、で本の好き嫌いを判断していた。結局、弟の豚を最後まで好きになることはなかった。

 こうして図書館で読んだ本や、家の本棚に並んでいた本が今も記憶に残っている。
 内容もそうだが、それ以外に表紙の字体だったり、背表紙の色使いだったり、装丁からも思い出すことが多い。
 それを大人になってから読み返すと、何かを感じ取っていた子どものころの思い出がよみがえってくる。
 どの場面が面白かったのか、怖くて暗闇がなぜ歩けなかったのか、読み直すたびに新しい印象が巡ってきたものだった。もちろん年齢の違いで感じ方も変わった。
 絵本はどの世代で向き合っても楽しめる本の形ではないだろうか。
 僕も今まで何冊かの写真絵本を出版している。
 常に出版していこうというパワフルさはあまりないが、あ!っと思う瞬間に巡りあうことがある。
 僕にとってその『あ!』と思う驚きがとても大事だ。
 それはたった一言の言葉だったり、しぐさだったりすることもある。
 現場で知ってしまった事実や、気づいてしまったことが、どうしても人に知らせたくなり興奮する。
 この内容の本が作りたい!と思った瞬間だ。それが僕の形にしていく始まりだ。
 児童書なのか、大人向けがいいのか、など器用に使い分ける文章力や構成力は僕にはなく、まず形にすることを優先したら、たまたま児童書が多くなった。
 僕の中での本作りは、まず被写体と出会った興奮から始まり、それに見せつけられたり、疑問をもったり、まず被写体のことを考えるところから始まる。
 『三匹のこぶた』ではないが、最近出版した『ぶたにく』(幻冬舎エデュケーション)もふと目にした残飯から、本の方向性がすぐに決まった。
 豚を育てて肉にするまでは理屈では分かっていた。しかし、育てるための餌が、近隣の学校給食の残飯だったり、コンビニの賞味期限切れのお弁当だったりする。食育という言葉もいいが、その前に考えることがあるだろうと思った。
 児童書を読む子どもたちから毎日出る残飯だ。
 それはとんでもない量だ。
 さらに目をひいたのが、その残飯に豚肉が入っていたのだ。豚を育てて肉にして、人が食べきれずにそれを残し、また豚が食べてしまう。
 この循環はどこか歯車が合っていなくて、間違っている。知らないことが毎日動いているんだろうなって感じた。
 でも人は必要な分を必要なときに手に入れたいから命までも操作しなくては間に合わない。これが当たり前だということに驚いた。
 かわいいだけの豚を見ていれば幸せだったが、その食のサイクルを知らずして、僕も、家族も、子どもたちもお年寄りもみんな同じものを食べていた。
 まずは自分にいい聞かせたかった本を作りたかったし、いつも食べている読者の方々にも知ってもらわなきゃいけない事だと思った。
 当たり前に買える食料として、考えることを忘れてしまった。パックに詰められる少し前まで愛らしいあの豚だったことを。
 こうした当たり前から、考えてみること。
 本には出会いやたくさんの創造が詰まっていると思う。
 それは読み聞かせをする大人たちにも、それを聞く子どもたちにも、互いに生まれてくるものだと感じている。
 考える楽しさや、想像する面白さなど、頭の中によぎる物語にはルールはない。だから本から生まれる旅は面白い。








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写真家    大西 暢夫

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