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エッセー&小論

本の魅力

フランス文学者
奥本 大三郎
(2010年4月発行 会報第120号より

新学習指導要領と学校図書館

 時間というのはつくづく不思議なものである。たとえば、朝、出かける支度をしている時の三 十分と、人に待たされている時の同じ時間とを比べると、時計の進み方が同じなのだとはとても信じられない。  田舎の結婚式に出て、下手なスピーチを聞かされるときも、時間の経ち方は実に遅々たるものであるが、大学の教授会でも、ユーモアも、エスプリも、そのか けらもない人が立ち上がって、「えー」と、舌なめずりをするようにしてながなが話し始めると、地獄の苦しみを味わうことになる。しかもそういう人ほど、他 人に苦痛を与えていることには鈍感で、下手な洒落を言って、ひとりでおかしそうに笑ったりするから、なおさらやりきれない思いをする。殺意すら感じさせら れることがある。

要点をメモしてきて皆に配り、後で読んでおいてくださいと言えば三分で済むことを、一時間もかけて自分だけ楽しみながら説明するのだから敵わない。

こういう人は、もちろん現世では長話の罪を犯した廉で有罪、ということにはならないけれど、死んでから、他人の時間を台無しにした罪で、退屈地獄にでも落ちてほしい。もっともこの手の人間は、そこを地獄と感じなかったりするだろう。

その点、退屈な本なら、途中で投げ出せばいいのであるから、人を拘束して無理に聞かせる、結婚式のスピーチや、会議での長い発言よりずっといい。

逆に面白い本にぶつかったときの時間の経ち方というのは、信じられないほど早いものである。よりによって明日試験というときなど、急に本棚の整理を始め たりして、因果なことにそういう面白い本にであったりする。何気なく頁を開いたら、あれ、と思うようなことが書いてある。今こんなことをしていてはいけな い、明日試験ではないか、でも、もうちょっと、もうちょっと、この章が終わったら止めようなどと思いながら、とうとう止められずに、結局朝まで掛かってお しまいまで読んでしまったりすることがある。

試験がなかったら、はたしてその本を読んだかどうか、難しいところだが、とにかく、早く試験の準備をしなければならないという、切迫した精神状態で、非常に興味深く読んだのである。

そう考えてみると、読書には、何か別の、自由を制限したりして、それを促すものが必要な場合があるような気がする。たとえば、監獄に入ると、たいていの 人は真剣に、なかなか質の高い読書をするようであるし、癌などの病気で、死期を知らされた人も真面目に本を読むという。昔の話でいえば、特攻隊の青年ら は、出撃の前に哲学や宗教の書物を読んだと伝えられている。

今の若者が本を読まなくなったのは、だから当然と言えば当然で、読みたくなるような切実な理由がないのである。衣食は十分足りているし、気を紛らわせる ことはいくらでもある。学生の生活を私は詳しくは知らないが、その話を聞いてみると、忙しくアルバイトをして、部活をして、ケータイで喋っているうちに一 日は過ぎるという。そういう気晴らしが、しかしあまり高級なものでもなくて、ただ時間だけを浪費するものであることが問題なのである。電車の中でピコピコ やっているゲームにしても、反応していると、別に頭なんか使わなくても時間ばかりが経っていく。同じゲームでも電子ゲームと、碁や将棋とでは話が違う。

だから、今の生活が続けていける限り、誰もじっくり本を読む気分にはなれないだろうと思う。それで痛痒を感じないのだから仕方がないのである。

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フランス文学者    奥本 大三郎

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