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エッセー&小論

世界を偏りなく知るために

歴史教育者協議会 前委員長
石山 久男
(2008年12月発行 会報第116号より)
 私は長く高校に社会科の教員として勤務してきたが、その間、図書館の担当になったことは一度もない。また、私は特別に読書家というほどの者でもなく、私と本とのつきあいのほとんどは、授業の準備や、文章を書く必要上、何かを調べるために本を活用することがほとんどである。だから、このような場に一文を書くにはあまり適任ではないのだが、せっかくの機会を与えられたので、最近思っていることのいくつかを書いてみたい。

  一つは、インターネットの流行と本との関係である。最近は学校でも調べ学習が大いにとりいれられているようだが、そのさいもインターネットが活用されることが多いという。それが学校図書館の利用にも影響を及ぼしていることはないのだろうか。瞬時にきわめて広範囲の情報が得られるインターネットの利点を生かすことは大切ではあるが、それが本離れ、活字離れを生んでいることは否めない。

  ここで考えてみたいのは、インターネットと本との違いである。インターネットで流れている情報は、多くの場合、生の情報ではあっても、ほとんど推敲を受けていない。しかし本の場合は、編集者、校正者など何人かの目を通して推敲が重ねられた情報である。そのなかで不確かな部分はさらに調べられて正確になり、誤りは正されて、読者のもとにとどけられる。このように、情報には質の違いがあること、それぞれの長所短所を見極めながら情報を活用すべきであることが、もっと教えられてよいのではないだろうか。

  二つめは、読書感想文についてである。私は子どもに本を読ませて、一斉に義務的に感想文を書かせるのはやめたほうがいいと思っている。それは本嫌い、本離れの原因の一つになっているとさえ感じている。一冊の本の中身はそれぞれに濃く深いものがある。子どもにとっては、すぐに言葉として表せない奥深いものをうけとめる場合もあるだろう。言葉にならないものを無理に言葉にしてしまったときに、それは浅いものとして自分のなかに定着してしまい、自分のなかで反芻しながら思いを深めることを妨げてしまう。むしろ、一冊の本を読んでうけとめたものが、他の本や自分の体験などと重ねあわされて深められ、あとになってそれが本当の言葉として表出されることもあることに期待したい。

  本を読ませた指導者の側としては、すぐに反応を知りたいと思うのはわかるが、読書は教育と同じで、すぐに結果が出るものではない。性急に結果を求めてはならない。子どもの心の底からの言葉になるときに「感想」を書いてもらえばよいのではないだろうか。

  三つめに、司書の方、あるいは読書の指導者の方は、本の編集者と同様に、このことをもっと知らせたい、考えてほしいという思いをもっておられると思う。学校図書館の場合、授業の一環としての学習や調査の援助という任務をはたすことも求められると思うが、それだけでなく自らの主体的な考え方にもとづく活動にも、大いに力を入れてほしいと思っている。それはテレビなど一般のマスコミがあまり知らせないけれども実は大事だと思われることを、情報面で補うことでもある。

  その一つの例は、いまの日本のマスコミ報道はアメリカ発の情報に偏っていて、アジアの動きや実態が国民にひろく知らされていないことである。こういう状況のなかで、日本は進んだ国、韓国や中国や東南アジアの国々は遅れた国、北朝鮮はもっと遅れた国というような一面的なみかただけが増幅されて人々の意識のなかに植えつけられていくならば、日本はアジアから孤立し将来を誤ることになりかねないと危惧している。学校図書館が、マスコミの伝えないアジア発の多面的な情報を子どもたちに伝え、子ども達の認識を偏りのないものにしていく役割の一端を担っていただけるなら有難いと思っている。

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歴史教育者協議会 前委員長    石山 久男

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