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エッセー&小論

世の中がいくらみにくくてもそれにうちかつ生きがいは若者のなかにこそ…

ちひろ美術館 副館長
竹迫 祐子
(2008年9月発行 会報第115号より)
 「私は、もっと醜かったんです。」と、美しい日本語で話されたのは、韓国人の李さん。一九三三年生まれの上品なご婦人です。

  李さんは、お父さんの仕事の関係で、大阪の堺に生まれ、恵まれた少女時代を過ごしました。戦争中は、困難なことも多くありましたが、実際の苦労は戦後一家で韓国に帰国してからだったと言います。生活は厳しく、上のお兄さんたちは学校に上げてもらえましたが、李さんは、学校に行かせてもらえず、ひたすら働いてきました。結婚し、子どもをもうけてからも、生活は楽ではなかったようです。「一番つらいとき、私は小さい頃に読んだいろいろな本のことを思い出して過ごしていました」といいます。

  同様の話を、ユダヤ人の父親を持ち、戦争中は学校に行くことが許されなかったというチェコの画家、クヴィエタ・パツォウスカーさんからも聞いたことがあります。暗い日々の中、幼い頃にオペラ歌手の父と外国語教師の母と一緒に本を読んだ記憶が、唯一の救いだったと。

  李さんと会ったのは、ソウルから車で三時間ほど北東に上ったジュチョン。小さな町にできた通称「奇跡の図書館」でです。「奇跡の図書館」とは、韓国の図書文化財団が地方自治体と半額ずつお金を出し合って作った子ども図書館で、現在、韓国各所に十一館あります。もとより、図書館活動では遅れていると言われる韓国。図書文化財団は、韓国の子どもたちがもっと本を読む環境を整えていこうと、「thinking citizen is reading citizen」をキーワードに、出版協会や作家会議など本に関係する八つのNGOが、MBCテレビ放送等々の力を借りて図書館建設のための大きなキャンペーンを行い、集った寄付金を基金として設立されました。その図書館第一号は、二〇〇三年、韓国最南端の工業地スンチョンの奇跡の図書館。中心は子ども図書館ですが、親と子が気軽に足を運べるように、お母さんのための本コーナーや、親子で一緒に本が読める小部屋などが設けられています。こんな僻地では図書館活動は定着しまい、という人々の予想を裏切り、多くの人たちがこの図書館を利用し、町は図書館を核に活気を回復していきました。そうした経緯が、「奇跡の図書館」という名を呼び、今では国内に十一の奇跡の図書館が生まれています。

  李さんは、先のジュチョン図書館のボランティアとして活動をしています。息子の転勤を機にジュチョンに移り住んだ李さんにとって、この町は誰も知人のいない見ず知らずの町。心細い日がつづきました。そんなとき、誘ってくれる人があって関わったのが図書館ボランティアでした。忘れていた本の思い出が蘇り、今は子どもたちに物語を語るのが、大きな生きがいになっているといいます。

  苦労の多い人生は、自分の顔を醜く歪めてきたと、彼女自身は長く思ってきました。けれど、奇跡の図書館の活動を通して、子どもたちと本を介して交流し、自分自身が本を読む楽しさを思い出したときに、自身の中で何かが大きく変化していったのでしょう。「今ようやく、鏡を見て、いい顔になってきたと思います」と語ります。

  本を読む、という行為が、直接的に何かをもたらすものでないことを私たちは知っています。一方で、多くのものをもたらすことも。その最大のものは、想像する力でしょう。それは、「未来への希望」に繋がります。

  「どんどん経済が成長してきたその代償に、人間は心の豊かさをだんだん失ってしまうんじゃないかと思います。私は私の絵本のなかで、今の日本から失われたいろいろなやさしさや美しさを描こうと思っています。それを子どもたちに送るのが私の生きがいです。青年は若いだけに、もっと大きい生きがいをもてるはずだと思います。世の中がいくらみにくくても、それにうちかつ生きがいは、若者のなかにこそあると思います」と、生前、いわさきちひろは語っています。ちひろは、未来への希望を信じて、絵を描きつづけた画家でした。

  今の時代、ちひろが残した言葉は、李さんの人生と重なり合いながら、一層その重みを増しているように私には思えます

著者紹介

ちひろ美術館 副館長    竹迫 祐子

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