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エッセー&小論

濫読から牛読まで、人生は本なり

サイエンスライター
竹内 薫
(2008年4月発行 会報第114号より)

 この年になると本の読み方について改めて考えさせられることが多い。

  小中高と、ひたすら小説を「濫読」する時期を過ごした私は、やがて、哲学書や科学書を「熟読」するようになり、本好きが高じて、とうとう科学作家になってしまった。役人になるか、科学者になるか、作家になるか、という人生の選択を迫られた私は、最終的に「一番好きなのは本だ」という単純な理由により、作家の道を選んだのである。だが、本の仕事に就いて、好きなだけ本を読もう、という思惑は大きくはずれ、今では、本を読むよりも原稿を書く時間のほうが多くなってしまい、常に「もっと本が読みたい!」という欲求不満にかられる日々を過ごしている。相変わらず、本屋さんをぶらついては読みたい本を買ってくるのだが、編集者からの原稿の催促に負けて、哀しいかな、ここのところ「積読(ルビ:つんどく)」が主流になっている。

  ところで、ヨガのインストラクターをしている妻は、私が教えているカルチャースクールの「文章講座」の元生徒である。一時期、湯川薫というペンネームで売れないミステリーを書いていたことがあり、妻は私の本の読者だったのである。「本」が縁で結婚したのだから、もう、人生丸ごと本に染まっているといっていい。

  深夜、私が書斎で原稿書きをしていると、居間のソファでは妻が好きな本を「牛読(ルビ:ごどく)」している。これは妻独特の読書法らしく、猛スピードで一回読んだあと、今度はゆっくりと味を噛みしめるように読むのである。気に入った本の場合、まるで牛のように何度も何度も反芻するため、本がボロボロになって壊れることも多い。

  最近、私がはまっているのが、翻訳書の「比読(ルビ:くらべよみ)」である。サン=テグジュペリの『星の王子さま』は、著作権が切れたとたんに何冊もの新訳が登場した。あるいはチャンドラーの『ロング・グッドバイ』も村上春樹訳が話題になった。訳を比べたあとは原書に戻って、翻訳の秘密を探る楽しみが待っている。昔は、今みたいに訳語がこなれていない翻訳書が多かったので、「判読」という奇妙な愉しみ方もあったっけ。

  濫読、熟読、積読、牛読、比読、判読……みなさんは、どんな読み方がお好きですか?

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サイエンスライター    竹内 薫

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