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私たちが日頃みなれた、“綴じた本の形”冊子本の原型は、西暦紀元1世紀ころに現われたようです。『死海写本』(死海北岸クムランの洞窟から発見された紀元前2世紀~後1世紀の古写本)の中にも、皮材を用いた巻物のほかに、皮のシートを二つ折りして、その折り目に別に折った皮をはさんで組み合わせた、冊子様のものもありました。 しかし、パピルスの巻子本(巻物)から、皮の冊子への転写なども含めて、書物の形が確実に冊子本に移行したのは、4世紀のことでした。その頃の現存する書物には、シナイ山麓の修道院で発見された『シナイ写本』があり、大英図書館に所蔵されています。また、絵本の遠い祖先、絵入の彩飾冊子本となると、少し後れて、5世紀(420年頃)のウェルギリウスの『農耕詩』がヴァティカン図書館にあります。 ところで、巻子本は、途中のどこかを見たいときには、真に不便なものですが、冊子本形は、実用上から自然発生的に誕生したのでしょうか? たしかに、書写材料として、パピルスや皮の原形1シートは小さいので、継ぎ足して巻物にしていました。その上パピルスは折り曲げに弱い材質で、冊子向きではありませんでした。一方の獣皮は、動物の大きさからくる制約はあったものの、これを四つに折って、8ページ分をつくることは簡単で、冊子への道は開けたと思われます。ところが、冊子本へのヒントは、ほかに当時の身近なものにもあったようです。 それは、古代ローマ人が筆記に用いていた、ディプティカとよばれた書字板で、木や象牙などの小板2枚を、開閉できるようにつないだものです。閉じたとき、内側になる二つの面には凹みがあり、そこへ蝋を流し込み、表面に文字を尖筆で彫るように書き、筆記に用いました。(図参照) ポンペイ出土のフレスコに、これを手に持った肖像画があります。左手に書字板をもち、右手の尖筆を唇に当てて、物思いにふけるような美しい女性像です。手にする書字板は板数が4枚あり、二連板以外にも筆記用具があった事を教えてくれます。
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