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本のかたち

和装本と洋装本の狭間

ブックデザイナー    辻村 益朗
(2009年4月発行 会報第117号より)

 幕末から明治にかけて、子ども向けに沢山つくられた「小型本」(縦 12~16㎝×横8.5~11.5cm)がありました。これらのかわいい本は、絵の具の質こそ落ちてはいるものの、表紙、挿絵、本文とも、まだ草双紙と同じ木版多色刷りの手法で、作られていました。

  ところが、同種の本が明治16~25年ころになると、銅版画の挿絵まで見られるようになって驚かされます。それらは、文章も銅版だったり、或いは活字で組んだり、挿絵は板目と木口木版や、石版まで併用する印刷もありました。
銅版画、つまり腐食銅版技法は、蘭学書に見られる緻密な挿絵技法が興味をもたれ、研究されるようになりました。

  また、西欧式の手引き印刷機や活字などが、貿易品として長崎に入ってきたのは1850年ころです。「印刷術」の研究は、その頃から長崎で始まりました。その後の活字鋳造や印刷技術の習熟までを考えると、「印刷」は驚異的なスピードで、子どもの本にまで伝播したことがわかります。

  ところで、日本児童文学史の第一歩を飾った巌谷小波の『こがね丸』(博文館)は、明治24年(1891)に刊行されています。四六判ほどの和装本で、本文は上質紙に両面刷りの活版(活字)黒一色刷り。表紙、口絵の多色木版画は武内桂舟で、本文挿絵は木口木版です。

  また、同じころの小型本(15.5×11.5㎝)の一冊『繪入幼年遊戯』(1893 博文館)を見ると、装丁は「結び綴じ」で、素材は和本に準じ、本文は和紙片面に活版黒一色刷りです。和本では、二つに折った二頁分が一丁で、丁数字は、中央折り目の板心(柱)に一つだけいれるのが決りでした。しかしこの本では、板心の折り目を逃げた左右二ヶ所に頁数字を入れて、袋状に二つに折ることでノンブルとしての役割を果たしています。この変化は画期的です。本文挿絵は、カットの形なりに、文章を組み込む「いれこ」に組んでいて、草双紙以来の伝統がここにも見られます。

和装本と洋装本の狭間

『こがね丸』 表紙「和綴じ」製本表紙・口絵は木版多色刷り

和装本と洋装本の狭間

『繪入幼年遊戯』板心部分、折り目の左右に二ページ分の数字をいれて、丁数字からノンブルに改良

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