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印刷物である「板本」(はんぽん)は、一冊だけの写本と違って、刊行する部数も目的の一つであり、量産されたものでした。
ところで、この複数製作を可能にした「印刷術」は、いつ頃から、日本で始まったのでしょうか?
わが国では、現存最古の印刷物は8世紀まで遡ることができます。よく知られた「百万塔陀羅尼」(ひゃくまんとうだらに)で、世界的にも重要な文化遺産です。
「百万塔」と呼ばれるものは木製の小塔です。これは、追善供養のために実際に百万基が作られ、その空洞部には摺刷されたお経(陀羅尼経)の呪言を入れ、奈良などの諸大寺に納められたものでした。法隆寺には、今も多くの塔と摺りが残っています。摺りそのものには刊記はなく、文献などの傍証によって、この膨大な量の印刷完成に要した製作期間は、764年から770年までの6年間とされています。
陀羅尼につづくその後の印刷物は、何故か現存するもののない300年ほどの空白な期間を経て、11世紀平安末期からの、寺院による本格的な木版印刷を用いた、開版事業に繋がります。つづく鎌倉期の書物には、「絵入り板本」の先駆けとなる「挿絵」がみられるようになります。
室町期に入ると印刷出版の事業は地方に分散して、寺院だけでなく、有力者なども開板を手がけ始めます。
桃山時代から江戸初期にかけては、画期的な出来事――活字印刷による西欧式印刷術の渡来がありました。それは、イエズス会の宣教師ヴァリニャーノと、日本から派遣された「遺欧使節」(1582年出発~1590年帰国)によって、もたらされたものでした。彼らが刊行したのが、著名な「きりしたん版」と呼ばれる三十種ほどの書です。
この間の事情を詳述する紙幅はありませんが、1612年には、徳川幕府がキリシタンを禁じましたので、残念なことに西欧式印刷術の普及もまた、断たれてしまったのでした。
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