1. HOME > 
  2. 編集者のアンテナ

編集者のアンテナ

日本の漢字表現を根本から考え直すためのジテン

三省堂    奥川 健太郎
(2011年12月発行 会報第5号より)
 理由(わけ)、幸福(しあわせ)、豆富(とうふ)、本気(マジ)、夜露死苦(よろしく)……  これらは、普通の辞書には載っていない。しかし実際には使われていて、誰もがどこかで見たことがあるだろう。そんな表記が出典付きの形でオンパレードで並んでいる。
 辞典が出る直前の夏、編者の笹原宏之先生の超多忙な編纂風景をNHKの「ドキュメント20min.」が追跡した。先生は中学生の頃から『大漢和辞典』を読破する一方で、膨大な当て字を収集されていたのである。この番組を皮切りに、TV、ラジオ、新聞などで異例なほど本辞典は取り上げられた。
 表紙をご覧いただくと、滝沢馬琴も「四六四九」を使っていたことが分かる。江戸人も平成人も、文字感覚はそう変わらない。一方、「真面目」が当て字として出現し、宇田川榛斎が蘭語klierを訳して「腺」という字を発明したのもざっと二百年前。当時は珍妙な字だと受け止められたに違いない。それが今や空気のような存在となり、学校で教わる常用漢字表に載っている。
 表現する文字が選好され、研磨され、継承される。その担い手は、もはや文人でも役人でもなく、我々一人一人にほかならない。そのダイナミズムを解明することが先生の本意である。日々生み出される個別事例を虚心に観察し、その背景や関係性を複眼的に考え続けない限り、本当のことは分からない。
 だからこの辞書ではあらゆる表記を俎上に載せ、安易な価値判断をしていない。誤字とされるものすら注記して載せている。
 たとえば毎日、洪水のように出版されるコミックだって、文字表現や語彙に与えている影響は計り知れない。だが、そのアーカイブの整備には程遠い。紙に残らない電子書籍やウェブの文字も、五十年後、百年後には果たしてどれほど遡ることができるだろう。
 現代の表記が後代にとってのミッシングリンクとならないよう、同時代人としてありのままの実例と所見をできる限り残しておきたい。その執念が辞典として結実した。編者が真の研究者であることの証左である。実はおそろしく真面目なジテンなのだ。
書影
当て字当て読み漢字表現辞典

バックナンバー

選書リストを見る

新規登録すると…

SLBAに参加登録(無料)していただくと、ホームページからもご注文が可能になります。

学校図書館様向け 新規登録

書店様向け 新規登録

ページトップへ

当ホームページ掲載の記事、写真、イラスト等の無断掲載を禁じます。