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エッセー&小論

図書館は、思い出を紡ぎ、人を繋ぐ

作家・星槎大学教授
小中 陽太郎
(2007年12月発行 会報第113号より)

 北海道富良野のちかくに、かっての炭鉱の町芦別がある。ここに環境問題や特別支援教育を通信制で教える星槎大学が誕生して以来、わたしもスクーリングに出かける。校舎は廃校になった赤いレンガ造りの小学校だ。

 図書室は教室二つをつないだもの、大学も本を蒐め、教員たちも蔵書を寄贈して、司書山田智恵子さんが家事の合間をぬってこつこつと整理してくれた。この夏の文科省の調査では、和書一二三一九冊、洋書二五一八冊で合格。わたしも英文のブリタニカや、ほるぷ出版の『原爆文学全集』をおくった。利用するのは、熊だけかな、と冗談を言いながら。ところがそこでクマのプーさんのぬいぐるみのような、五〇がらみの男にあった。蔵書の拙著『私の中のベトナム戦争』を手にしている。
 「先生お久しぶりです」
 「え、どこで?」
 「大阪の反戦万博です」
 思い出す、一九六九年大阪万博の前年の夏、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)大阪城公園で、反戦のための万博をひらいた。大きなテントを張り巡らし、そこに寝泊りした。展示のなかには九州大学の計算機センターに墜落したファントムのエンジンの一部残骸もあった。運び込んできたのは、現在名古屋大学工学部教授黒田光太郎だった。

 そこに町のホットドッグ屋がやってきた。ところが主催者としては、参加者による模擬店が出ていて、財政の一助にもなっているから、会場内では販売しないでほしいと頼んだ。それにたいして参加者から「屋台こそ労働者である」と声が上がった。参加を認めるべきかどうかで雨中の大討論会が巻き起こった。雨がやんだらホットドッグ屋は消えていた。

 テントの中にプーさんではない、高校生の武(たけ)君もいた。その後武君は、芦別の遺跡発掘調査に参加、そのまま芦別に永住した。実は大学の創設者宮澤保夫もテントにいたのだ。

 四〇年ぶりの再会の夜、武君は奥さんとジンギスカン鍋でもてなしてくれた。大雪山にかかる月を見つつ人生も悪くないとおもった。
 今夏、私は、作家小田実に台本を書いてもらったテレビドラマ「しょうちゅうとゴム」や脱走兵の記者会見の記録をあつめて、名古屋や東京で上映会を開いた。

 上映会は、芦別の再会にちなんで「絶滅種テレビを発掘する」と名づけた。そのなかには長崎で被爆した弟を背負う少年の写真もある。直後小田実は急逝した。

 わたしは心に思った。本も映像も消えない。それを読みたいとおもう読者があり、それを保存する図書館があるかぎり。

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作家・星槎大学教授    小中 陽太郎

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