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エッセー&小論

<落ちこぼれ者>の学習

児童史研究家
上 笙一郎
(2007年9月発行 会報第112号より)

 教養や学問を身に着ける上で重要なのは学校と図書館だが、わたしは、そのふたつにあまり縁のない人生を歩んで来た。

 今は小学校から図書室があって、本を買ってもらえない子どもも借りて読めるが、わたしが小学生だった二次大戦の頃、学校図書室などというものはなかった。敗戦の翌年に入った中学校には図書館があったが、戦争のために荒れはてていた。

 数学の教師にいじめられて成績が悪くなり、高校を一年で落ちこぼれ、大学への進学は絶望的。目の前真っ暗で悩んでいたら、知り合いの女性が、
「お茶の水に文化学院という学校があって、高校を出てない人でも入れてくれるそうよ。文部省の認めた学校ではなくて、各種学校だから、何の資格ももらえませんけどね」

 与謝野寛・晶子夫妻や石井柏亭が長く教えていた自由主義の学校で、大正時代から男女共学。太平洋戦争中には、「戦争遂行に協力せず、怪しからん」との理由で強制閉校させられてしまった学校である。

 敗戦で再建されたその文化学院に入試なしで入ったが、何しろ敗戦の直後期、授業は、今の常識では考えられないものだった。教室が足りないので、学年分け・クラス分けは不可能で、全学生が講堂に集って教師の講義を一斉に聞くだけ。講堂だからして、椅子はあるが机はなく、ノートを取ることは出来なかった。

 そういう状況なので、わたし、二年半の在学中、テキストを指定されて受けた講義は経済学のひとつだけ。その他の科目は、テキストなしで、講師の話を双つの耳で、唯だ唯だ聴くだけだったのである。テキストを使うことも出来ず、ノートを取ることも出来ない授業、今からは想像することがむずかしいだろうと思う。そして、せめて図書室でもあれば――というと、その建物はあったけれども、強制閉校に起因してだろう、書物は一冊もなかったのである。

 かくてわたしは、文部省的教育から落ちこぼれてしまったため、充実した学習を受けることがなかった訳だが、しかし、児童史・児童文化研究の領域でいささかの仕事をしているからには、どこかで学んでいると言わなくてはならない。そして、ではどこで学習をしたのかと考えてみると、それは<書物>からであり、取り分けて<古書店から入手した本>からであったと思うのだ。

 わたし、二十歳の夏に就職運動がらみで評論家・青地晨氏のアルバイト助手となったが、最初に与えられた調査・考究テーマは、わたしには途轍もなく巨大であった。わたしがためらっていると、青地氏は、
「君はこのテーマに恐れを持っているようだけど、心配は要らないよ。人間、そのテーマにかかわる本を二、三箇月をかけて一所懸命に読めば、大学で教えてくれる程度の知識と見識は、身に着くからね。そしてそれ等をどう生かすかは、本人の考え次第だよ」

 青地晨氏のこの言葉は、高校=大学という教育コースへの引け目を感じていたわたしに取って、大きな大きな励ましとなった。高校を出ていなくても、大学で学んでいなくても、書物を読んで一心に考究する限り、成果にさほどの違いはないらしい。そしてわたしは、この青地氏の言葉を拠りどころとして歩みを進めて来て、今日、いささかの仕事を成就し得ているのである――

 二十一世紀の初年代の今、分野を問わず<学問研究者>を志す人はというと、大学は言うにおよばず大学院にまで進んで<教えてもらおうとする人>が普通のようだ。しかし中には、学問研究の道を志しつつも、経済的な問題によって大学・大学院への進学を果たし得ない人だってあるに違いない。

 わたしは、そのような人たちに向かって言いたい――かつて青地晨氏がわたしに言われた言葉をそのままに。「人間、そのテーマにかかわる本を二、三箇月をかけて一所懸命に読めば、大学で教えてくれる程度の知識と見識は、身に着くからね」と。

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児童史研究家    上 笙一郎

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