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美術家が亡くなると作品が残る。しかし、ここで触れたいのは、残された作品というよりは、蔵書であるとか、書簡や日記、あるいはノートや写真などについてのことである。美術家が残した作品を、いわば表通りとすれば、裏通りに属するものといえるかもしれない。文筆家ほどではないとしても、結構な本もちがいるし、画集やカタログの類となると、これはもう半端ではない。 だから、残された作品をどうするかは、ともかく、こうした裏通りのものが、美術家の亡くなった後、その始末にこまるという相談を受けることがある。 といっても、まあ、そうとうの美術家を念頭に入れた話である。要するに書簡・日記・ノート・写真(ときには画材や画具までも)などの裏通りに属する文書や記録(アーカイヴ)を介して、美術家の想像世界の一隅を覗くことになる。もちろん、地味な調査・研究によって、そのことは判明するのだが、美術家の人間的側面あるいは社会的位置などの確認に役立つことだってないわけではない。蔵書についても、一般の図書館の分類にしたがって、バラバラに種別されるよりは、一塊にした状態(もちろん整理した上でのこと)にしているほうが、その美術家の関心や興味の対象がわかりやすい。本もまた、美術家の思索の一助であり、ノートや写真も記憶の確認に用立てているとすれば、作品以外のこうした裏通りのものの大切さに気づくことになる。 随分前のことだが、日本画家・山口蓬春の歿後、作品と蔵書の寄贈を受けたことがあった。膨大な量の蔵書を「蓬春文庫」というかたちで公開(神奈川県立近代美術館)している。そのなかにマティスの『ジャズ』があって、びっくりしたことがあった。また蔵書の多くが、洋画家・木村荘八の旧蔵であったということも、最近になって知らされた。荘八の署名入り本が幾冊かあるのは親交の証だとしても、どうして、この文庫を蓬春が手に入れたのかを知ろうと思えば、どちらかのアーカイヴに当たらざるを得ない。 しかし、存外に面白いのは、美術家自身があつめた蒐集品なのではないかと思う。マティスの『ジャズ』は、さて、蓬春、荘八どちらの蒐集品なのか、いまのところは判然としない。
世田谷美術館館長 酒井 忠康
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