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すぐ上に姉が二人いたので、私も早くから字を覚え、幼稚園に入るころには姉たちの童話の本をひとりで読んでいたそうだ。 小学校の入学式の帰りに、母が本屋に連れていってくれ、「今日は特別な日だから好きな本を二冊買ってあげる」と言うので、大喜びして講談社の少年講談シリーズの『荒木又右衛門』と『一休和尚』を買ってもらったが、帰宅後夕食前に二冊とも読んでしまい、特別な日だなんていってもたいしたことないんだなと思ったのを、妙によく覚えている。かなりの読書力があったわけだろう。 それからも、見さかいなしに本は読んでいた。当時は新聞も雑誌も本も、たいていは総ルビといって、漢字にはすべてルビがふってあったので、意味はよく分からなくとも、子どもにも読むことだけはできるものだった。 小学校の低学年から私は、吉川英治や高垣眸、山中峯太郎、南洋一郎といった作家の少年向け時代小説や冒険小説を読んでいたし、高学年になると、『新青年』とか『譚海』といった若者向けの雑誌の捕物帖や探偵小説まで盗み読みしていた。読書に関してはかなりのスレッカラシだったのだ。 そんな私には、学校の図書室は人畜無害な本ばかり集めた衛生的な場所に思えて、あまり近づきたいとは思わなかった。 それが五年生のとき、なにを間違えたのかその図書室に迷いこみ、うっかりウェブスターの『あしながおじさん』を手にとってしまった。ぐいぐいと引きこまれ、借りて帰って二日がかりで読み上げ、なんとも言えない異様な感動に囚えられた。それまで『怪傑黒頭巾』や『神州天馬侠』を読んだときに感じていた「ああ、面白かった!」とはまるで違う気分だ。のちに私はその気分を「ブンガクテキカンドー」と呼ぶようになった。 その「カンドー」をもとめて、その後は時折図書室に足を踏み入れるようになった。当時大評判になり、高峰秀子の主演で映画化もされた豊田正子の『綴方教室』に出合い、あのカンドーを新たにしたのもここでだった。 そして、どうやらこのころから私は、ひたすら面白さを追いかける裏の読書と、このカンドーをもとめる表の読書と、今に続く陰陽二様の読書を平行しておこなうようになった気配だ。
哲学者・中央大学名誉教授 木田 元
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