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エッセー&小論

学校図書館に棲む魔神

作家
海堂 尊
(2009年9月発行 会報第118号より)

 学校図書館は好きだった。行くのはたいてい雨の日で、外で遊べない放課後だった。小学生の私はそこでシャーロック・ホームズと出会い私立探偵になろうと決意した。それから隣のルパン・シリーズをちらりと見て、ルパン三世の方が断然面白いと思い、さらに隣の江戸川乱歩の選集には体質が合わずに放り出した。中学校の図書館では、流行りの刑事コロンボのノベライズの最新刊が入荷され、貸出票の一番を取るのを日課にしていた。こうしてみると、私をミステリー世界へ導いてくれたのは学校図書館なのだろうと思う。

  だがここで話すのは別のこと。学校図書館に棲む魔神の話である。

  学校図書館が好きだった。そこには膨大な本があった。一冊手に取る。島崎藤村の「破戒」。ぱらぱらめくり、何やら難しそうだなと思う。後ろの貸出票に五つの日付のハンコが押してある。少なくとも五人の先輩がこの本を借りているわけだ。読んだかどうかはわからないけれど。

  結局私は、今日に至るまで「破戒」は読んでいない。

  ドストエフスキーの「罪と罰」があった。ぱらぱらとめくり、本棚に戻す。中学校図書館では読まなかったが、高校になって街角の古本屋で再会し、購入し、テスト期間に読み通し追試をくらった。

  プルーストの「失われた時を求めて」と「チボー家の人々」の膨大な巻数を見て途方にくれた。大学に入りどちらも購入し、「失われた時を求めて」は何とか読破した。「チボー家の人々」はいつの間にか戸棚の隅に消えた。

  学校図書館には魔神が棲む。それは、図書館に足を踏み入れた自分が、今後絶対に読まないだろう、膨大な書籍のかたまりだ。

  その膨大さを前にして、幼かった私は途方にくれ、全世界をすべて知ることを諦めた。そして思う。私が知っていることなど、世界のひとかけらにすぎない。さらに、私が全世界をすべて知ることなど金輪際ありえないだろう。なぜなら世界の片隅の、こんなちっぽけな学校図書館に並んでいる書籍でさえ、そのすべてを読破することすら叶わないのだから。

  これが学校図書館に棲む魔神だ。その魔神は、今も私に一番大切なことをささやきかける。その声を聞くと、私は世界にひれ伏したくなる。

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作家    海堂 尊

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