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エッセー&小論

成長期の読書指導

評論家
紀田 順一郎
(2008年12月発行 会報第116号より)

 私はすでに古希を過ぎたが、あらためて中等教育での読書の重要性を思うことが多い。

  戦後三年目の一九四八年(昭和二三)に中学校に入ったときには、教員室の一隅を本箱で仕切った小さなスペースが図書室と呼ばれていた。司書が置かれているわけもなく、選書も十分ではなかったが、それを補うものとして国語の女性教師による読書教育があった。

  まず読書ノートをつけること。私は休暇中に少年雑誌を何冊も読んで提出したところ、「休み中にもっと深い読書ができると、よかったですね」と朱を入れられてしまった。

  落胆しながら周囲を見回すと、級友たちは岩波文庫のトルストイ『人は何で生きるか』といった本を開いている。違和感はあったが、少しは読んでみようという気持ちが生じた。 私の背中を押したのは、作家のリスト作りだった。クラスが「明治」「大正」「昭和」の三班に分けられ、各四十名の日本作家名とその代表作を一作ずつ選ばせ、それを大きな模造紙に清書させたのである。私は大正グループだったので、芥川龍之介『杜子春』、有島武郎『一房の葡萄』という具合に選び出したが、大部分が未読の作品なので、参考書を頼りに選び出すのは大変だった。結果を教頭に見せにいったところ、「こりゃ、どうもね」といわれて一字を訂正された。島崎藤村を「島崎島村」としていたのである。

  そんな頼りないものだったが、班のリーダーによる主な作品についての発表があった後、リストは教室の後ろの壁に張り出された。なにしろ自分たちが苦心して作成したものだから、昼休みなどに自然に目を走らせているうちに、国木田独歩は『武蔵野』、漱石は『草枕』というように、だんだん頭に入ってきた。おおよその年代順も把握できた。

  これがいかに有効だったかは、図書室や書店に入ったときにわかった。文庫本の書名が目に入ると、「ああこれが『武蔵野』か。これが『草枕』だな」と、いちおうは手にとる。先生はその動機を作ってくれたのだ。現在では通用しない手法と思われるが、成長期の読書には背伸びが必要で、それがないと世界は広がらず、基本的な価値観も継承されないということだけはたしかであろう。

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評論家    紀田 順一郎

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