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蔵書の劣化の問題が初めて指摘されたのは1970年代であった。これは人類が長年にわたって蓄えてきた知的資料が消えてしまうかもしれないという一大危機を意味した。 著名な紙資料の保存修復家バロー氏は、「1900年から1939年までに米国で刊行された図書の殆どすべてが21世紀には利用できないくらいに劣化するだろう」と警告を発し、その後、米・英、遅れて日本における実態調査によって、蔵書の劣化の状況が明らかになった。一例をあげれば、1971年の米国議会図書館の蔵書1,700万冊のうち600万冊が利用できないほどに劣化していると報告された。2006年発行の東京大学経済学部の調査書によれば、同学部では戦中から昭和30年代までの紙資料の劣化が著しいと指摘している。 紙の劣化の要因は、セルロースの加水分解や脱水反応、温度、湿度、光、昆虫、微生物、種々の破壊行為など多様であるが、ここでは紙そのものに注目し、主因とされた「酸性紙」がいかにして「中性紙」へ転換さ れたかを辿ってみよう。 もともと和紙も洋紙も中性紙であった。洋紙が酸性紙になったのは滲み止め剤としてロジン(松脂)サイズを使用するようになってからである。セルロース(第1回/会報2号参照)とロジンサイズ剤を結びつけるには硫酸バンド(Al2(SO4)3)を介在させる必要があった。抄紙の際のpHの範囲は4.5?5.5が最適であり、こうして酸性紙が生まれた。悪いことに、後に紙中の硫酸根から生じた硫酸により、高湿下ではセルロースの加水分解、低湿下では脱水反応が行なわれ、紙の劣化が進むことになった。 劣化対策として中性紙化が進められた。もっとも、当初は高級印刷用紙の開発と炭酸カルシウムの活用によるコストダウンが大きな狙いであった。時を同じくして蔵書の劣化問題がクローズアップされ、ある意味、渡りに船であった。数々の難題を一つ一つ解決し、約30年を経た現在では新聞用紙に至るまで殆どの紙が中性紙となった。 中性紙化により劣化の主因は解決されたが、一旦ぼろぼろになった紙は元に戻らない。「覆水盆に返らず」である。 (キュレーター・紙エッセイスト)
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